マートル(Myrtle)

至福


bliss


この絵は2012年6月のカレンダーの絵に使いました。

マートルはユーカリティーツリーと同じフトモモ科の植物で、古代から葉も実も呼吸器系、神経の疾患などの薬として使われてきたそうです。

ギリシャ神話、伝説にも出てくる植物で、愛や純潔、若さを保つなどのキーワードと関わりがある植物のようです。

マートルのことを調べていた時、聖書の時代、ユダヤ人女性が幸運を願い夫婦の愛の象徴として結婚式にマートルの花輪を身につけたという記述がありました。

マートルの花を描いていて、その後に女性が見えたとき、この記述を思い出して、リースを持たせたくなり、このような絵になりました。


なぜ、至福という言葉を選んだのかというと、この絵の女性が幸福を願っているように見え、その幸福は、至福、この上ない幸福を願っている姿に見えたからでした。




話は変わりますが、マートルは聖書にも出てくる植物です。

ネヘミヤ記8章15節に仮庵際の仮庵を作る材料の一つとしてマートルが出てきます。

バビロン捕囚から戻ったユダヤ人が、モーセの律法の書から仮庵の祭りの記述を見つけ、それを執り行うというくだりなのですが、この祭りを復活させたことを「まことに大きな喜びの祝いになった」と8章17節に書かれています。

私は熱心に聖書を読んだわけではないのですが、「まことに大きな喜び」という表現はあまり見たことがなかったので気になりました。


もともと仮庵の祭りとは、モーセの時代、エジプトを脱出後、ユダヤ人が荒野で天幕に住んだことを記念したもので、祭りの時には借庵を作り、その中で過ごすそうです。

このネヘミヤ記のくだりを読んだ時、仮庵の材料が適当ではなく、意味があるのだろうと思いました。

「山に行き、オリーブの枝、野生オリーブの枝、ミルトス(マートル)の枝、なつめやしの枝、その他の葉の多い木の枝を取ってきて、書き記されているとおりに仮庵を作りなさい」と書かれているのです。

オリーブも2種類あるわけです。

ただのオリーブじゃなくて、使い分けなければなりません。


では、なぜ、マートルの枝が選ばれたのか。

もしかしたら、神経の疾患を癒すとされていた植物の役割が期待されたのではないかと思いました。


出エジプトからさらに遠い未来にあたる、バビロン捕囚後の時代に、もう一度この祭りの復活したとき、ユダヤの人達は祭りの復活と共にアイデンティティーを取り戻した感覚もあったはずです。

この復活までに受けた心の傷は相当なもので、当事者だけではなく、その子孫達にも言い伝えという形で心の傷は受け継がれていく可能性もあるのです。

そういう中で、お祭りとして、仮庵で過ごす。

そのとき、マートルの枝から香りが漂っていたら、神経の疾患を癒すといわれている働きの恩恵を世代を超えて、自然な形で受け取れるわけなのです。

その祭りは至福ともいえる、「まことに大きな喜び」になりました。

マートルが仮庵の材料に選ばれたのか、その本当のことは分かりませんが、全てが、神様のご計画の一部であれば、マートルにより、厳しい体験の後にちゃんと心のバランスを取り戻すことを自然な形で人間が受け取れるようになっていることも計画じゃないかと感じたのです。

独りよがりで、乱暴な解釈かもしれませんが、聖書のちょっとした記述の中に、神様が人間に愛を示してくれていると感じる記述じゃないかと思いました。

神様の愛を感じることは、人間にとって至福の時です。



正直、マートルが至福と関係があるかどうか、私には分かりませんが、仮庵の材料に選ばれている、そして古代から人間にとって良い働きをしてくれる植物である、そういうことから、人間の至福に関係があってもおかしくないと思います。


この絵を観ていると、不思議と落ち着く感じもあります。

そして、じわじわと何か良い感じがある。

至福とまではいかないかもしれませんが、マートルの良いものを感じ取れた絵になったかもしれないと思っています。


この絵が至福と縁があれば、嬉しいです。


Kaoru Kurosawa
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