木と対話したかもしれない後の絵


気づいた
あたりまえのこと

この木は私よりも長生きなんだ

おしゃべりできたら
どんな時代の
どんなドラマを
話してくれるのか

もしくは

『”今、ここ”にしかいない』と言って
何も語らないのか

そんなことを思っていることさえ
見透かされている気がする。




私は木の絵を描くのが好きです。

パステルヒーリングをしていたとき、木を描くことには意味がありました。

たぶん、そういう観点で見るとこの絵を描いたときの私の状態が丸見えなのだろうと思います。

私は自分の絵で精神状態を細かく分析する術を知りませんが、自分の描いた絵の変化を楽しむことはしています。

こういう白っぽい複雑な色味をした幹を描くことはあまりなかったので、自分の中で何か変化があったのだろうなぁ〜と思っています。


この絵は半月前に描いたもので、新宿御苑で散歩した後に描いたと記憶しています。

新宿御苑には私より長生きをしていると思われる木々が多くあります。

そういう木々の中を歩いていると木々とコミュニケーションができるかもと思えてきます。

科学的な研究が進んで植物にも意識があり、コミュニケーションをとれることは知られるところになっていますので、私ともテレパシー的な会話が成り立てばいいなぁという感じです。

「コミュニケーションができるかも」という思いだけなので、本当に木々と対話しているかどうかわかりません。

散歩をしていると話し好きな木と寡黙な木があるように感じますし、ただ枝を揺らして挨拶するだけの木がいるとも感じるのです。

あくまでも個人の感じ方の話で、木々とのコミュニケーションは私の散歩の小さな楽しみという話です。

このような小さな楽しみの後に描いた木の絵が出来上がったとき、ぶつぶつと考えている私のことを見透されている感じがありました。

そういうこともあって、こんな言葉がでてきたのでした。

きっと、自宅の鉢植えや庭の木々、畑の野菜たちに話しかけている方も多くいらっしゃると思うので、私が感じていることをなんとなくでも理解していただけるかなと思い、この絵と言葉をブログに載せてみました。

実際、こんなアフロヘアを彷彿とさせる木は新宿御苑にないと思うのですが、描いていくうちにこうなったのも面白かったです。

散歩を続けながら、また面白い絵や色を描きたいと思います。


Kaoru Kurosawa
(文章や画像、作品の無断使用を禁止します。)