富弘美術館へ行ってきました。

群馬県にある富弘美術館へ行ってきました。

星野富弘さんの作品が展示されている美術館です。
とてもすてきな建築で、ゆっくり絵と詩を味わうことができる空間がありました。
美術館の売店の奥にカフェがあって、草木湖を見ることができます。



美術館の周りは遊歩道になっていて、湖や植物を見ながら歩くことができました。
美術館のカフェを外からみるとこんな感じです。


今回は家族旅行で芦ノ牧温泉へ一泊した帰り道、車で移動中に休憩を取りたく道の駅を探していました。
道の駅の看板が見えて、到着したら、富弘美術館でした。
せっかくなので、美術館へ入ることにしました。


実は星野さんの作品の素晴らしさはわかっていても、彼の作品を直視できない重さのようなものを絶えず感じていました。
今回、美術館で星野さんの作品をたくさん見ていくうちに、何を重く感じてしまったのか、それをはっきりと理解しました。
それは、作品があまりにも赤裸々で、彼の正直さを私が強烈に感じ、星野さんの心の中のことを赤裸々に外に出さないといられない衝動が、私の希望や光よりも、自分が正直に表現していない姿を直視させられるから、直視できなかったのだと、気づいたのです。


ところが、特別展「ともだち part 3」を見て、正直な表現がいいのだと感じることになりました。
この特別展は、日本自動車連盟(JAF)の 機関誌『J A F Mate(ジャフメイト)』に毎号掲載されている星野さんの詩画をメインとする「風の詩」のコーナーで、自動車評論家の舘内端さん(星野さんと親友だそうです)が、掲載された詩画について一言問いかけをし、それに星野さんが答える「投語・答語」の展示です。
星野さんの詩画の横に「投語・答語」があり、絵を見てからその問いと答えを読むと、詩画の印象が少し変わります。
私が重いと感じている空気が一気に軽くなるのを感じたのです。


星野さんの正直さを彼の周りの人は、彼らしいと受け入れ、むしろ、その赤裸々さを喜んでいる姿を感じたのです。
もし、星野さんが心を閉ざし、独りで絵や言葉を吐き出すように描いていたら、多くの人々に愛される作品として世に出ていくことができたのかどうか、と思いました。


星野さんは周りにいる人々があって、作品の命が輝きだし、詩画が生きだすことで、星野さんの中に新たな力が増幅されていくような、そんな循環があるからこそ、作品が多くの人に愛されているのではないかと。
そして、星野さんと星野さんをめぐる人々の中に愛の循環がある、それが作品の命になっていると感じたのです。
すべての作品を見終わったとき、絵を描き、言葉がでてくることを恐れずやったらいいよと作品が私にささやいてくれているようで、気づけば星野さんの作品を直視できるようになるという変化が自分の中に起きていました。


売店で星野さんの詩画集の小さな本を購入しました。
詩画とその横に詩の英訳がある本でした。
数年前、ある人に詩画集のような本を作ろうと、誘われたことがありました。
その計画は静かに消えてなくなったのですが、購入した詩画集を手に取ったとき、この誘いのことを思い出したのです。
いつか、私もこのような詩画集を作りたいと、新たな目標を与えてもらいました。


富弘美術館にたどり着くまでに、日光、中禅寺湖などを通過し、休憩場所が見つかりませんでした。
無理せずに、主人と私が「ここがいいね」と感じる場所まで移動したのです。
たぶん、数年前の私のままだったら、到着した場所が富弘美術館とわかった時点で、自分の姿を見ることができずに怖くて、中に入らず、逃げ出していたと思います。
この数年間、いろいろな体験を通じて、自分が変わったことで、美術館の中に入れたのです。ですから、私に関して言えば、自発的に行ったというよりも、富弘美術館に導かれてたどり着いたような気がした出来事になりました。


Kaoru Kurosawa
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