広島へ行ってきて、約3週間が過ぎました。(その1)

「 DANCE WITH PEACE 〜平和を踊る、平和を灯す〜」に参加してきました。

東京に戻って約3週間が過ぎて、なんだか数日前のような感じと、遠い昔のような感じの何ともいえない不思議な感覚があります。

いろいろな体験がありました。

書きたいことは山のようにありますが、うまくまとめることができませんでした。

少し時間が必要でした。



8月6日の午前8時15分の黙祷の時間、私のいた場所とそこから眺めることができた広島市内の空気が一瞬にして変わりました。

毎年、テレビで中継される広島の黙祷のシーンからは決して知ることのできない空気の変わり方でした。

優しさと人々の平和への願いがあふれている空気でした。


この体験は、人が集まって心一つに祈ると、何かを変えることができるんだという事実を知ることになりました。


それと同時に、なぜここに人が集まって平和を祈っているのか。

それは、戦争と原爆投下があったからです。


「人は戦争をする、しかし、平和を願い祈り踊ることもする。」


これが広島へ行き、一番強烈に感じたことでした。


私は戦争を知りません。

被爆もしていません。

これらは、誰かの体験で、私の体験ではないけれど、

確実に人間の中に、生かす事も殺すこともできる二つの面がある。

私も同じ人間なんだという体験でした。



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広島で8月6日から8日にかけてビオダンサを踊ること。

それは、新しい魂のともらい方じゃないかと思います。

また、あの日を生き延び、命をつないで今がある人達が、平和の大切さを踊ることで伝えていることじゃないかと思いました。




平和公園は整備された公園です。

木々を見ていると、今まであったものではなく、作られたことがわかる、そんな公園に感じました。

木々の雰囲気から癒されている感覚がありました。

観光客も平和的な雰囲気で歩き、いろいろな場所で記念撮影をしています。

表面上は記憶としての広島になっているようでした。

しかし、平和公園内の国際会議場の地下2階で踊ったとき、悲しみは地中深く染み渡っていることを感じました。

踊っていて普段感じない重たさがありました。



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3日間、ビオダンサのファシリテートをしてくれたのは、ビオダンサ日本校の校長であるデイビット・サープ先生でした。

デイビット(いつもこのように呼ばせてもらっているので、、、)は3日間のヴィヴェンシア(踊りること)で一つの方向性を教えてくれました。


それは、

平和を祈り、平和を宣言し、今をどうやって生きていくのか?

ということでした。


初日と2日目、普段言葉を使わないビオダンサで言葉を使う特別なワークがありました。


誰、何かのために平和を祈るワーク、
誰、何かのために平和を祈りながら歩くワーク、
そして「私は平和です」と宣言するワークがありました。


私は、


誰、何かのために平和を祈るワークは「愛する人のために」
誰、何かのために平和を祈りながら歩くワークは「私のために」
そして「私は平和です」と宣言しました。


この3つの体験をしたあとにふと思いました。

広島の人達もこうやって祈り、

自分の心に言い聞かせながら、

自分の現実を受け入れ、

自分の足で一歩一歩、歩んで

そして、今がある。


広島から平和の大切さとともに、乗り越える力を学ぶんだと気づかされました。


そして最終日、創造性と愛がテーマでした。

日々生きるとき、
自分を生かすことと情愛を示すことが、
平和に生きることにつながるよ。

というメッセージをヴィヴェンシアから受け取りました。


ちょっと長くなりそうなので、ここで一休み。

その2へ続く・・・。